
吉良さくら彩苑
愛知県西尾市の宮崎海水浴場近くに、樹木葬霊園が誕生しました。潮風に包まれた美しい海岸線のすぐそばで眠る樹木葬。自然と調和した静寂の中で永遠の安らぎを見つけることができる場所です。
愛知県西尾市の宮崎海水浴場近くに、樹木葬霊園が誕生しました。潮風に包まれた美しい海岸線のすぐそばで眠る樹木葬。自然と調和した静寂の中で永遠の安らぎを見つけることができる場所です。
POINT
01
檀家義務がなく、生前のお申し込みも可能で、ご家族の負担を軽減したい方に適しています。
POINT
02
自然豊かな環境の中で、四季折々の風情を感じながら、故人を偲ぶことができます。
POINT
03
宗旨・宗派を問わず、どなたでもご利用いただけます。自由な形でご供養いただける環境が整っていますので、安心してお任せください。
POINT
04
駐車場がございますので、お車でも安心してお越しいただけます。遠方からのご参拝も便利で、ご家族みなさまに快適にご利用いただけます。
当寺は安政2年(1773年)に、颯田弥右衛門の菩提を弔うため建立されました。
白浜新田の干拓は、元禄8年に幕府の許可と吉良上野介の後ろ盾で始まりました。しかし吉良上野介は刃傷事件と翌年の赤穂浪士の討ち入りによって命を落とします。「忠臣蔵」として有名なお話です
後ろ盾を失っても新田の開発は進められ、見事、完成を迎えます。しかし暴風と高潮により新田は流失。4年後には修復を終えたものの、また同じことが起こるかもしれません。
弥右衛門はこの新田を守るため、強い堤防を築こうとしました。その許可を得るため、江戸に向かい「幕府に直訴する」ことを決心しました。しかし直訴はご法度。つまり命がけです。他の村々からも江戸に向かうことを反対されました。そんな中であっても弥右衛門の心は折れず、江戸へ向かいました。
首尾よく弥右衛門は、幕府から堤防を築くお墨付きを頂くことができました。しかし弥右衛門を不幸が襲います。なんと、弥右衛門は江戸の旅宿で殺されてしまったのです。幸い、宿の主人の計らいで、お墨付きは颯田家の元に届けられ、白浜新田に強固な堤防を築くことができました。
人々は、皆のために命をかけた、勇気ある弥右衛門を悼み、お寺を建立しました。それが当寺です。以後、尼僧たちが受け継ぎ、当代で7代目となります。
本堂には本尊阿弥陀如来坐像(ほんぞんあみだにょらいざぞう)、善導大師坐像(ぜんどうだいし)、 法然上人坐像(ほうねんじょうにん)が祀られています。弘法堂には弘法大師坐像などが祀られて いて、弘法堂の横にある石三(せきさん)弘法堂には、三体の弘法大師の石像が祀られています。
永田や佛壇店 西尾店
0563-57-0763
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